20代2000万セミリタイア(予定)のブログ

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セミリタイア圏内に入ってきたけど、どうしようか迷い中

自分が資産2000万でセミリタイア可能と考えた理由(支出編)

収支の内訳とか投資益、利回りの話

昨日私は、いつの間にか資産2000万円貯まってて燃え尽き症候群になりました。って話を書きました。

zaramechan.hatenadiary.jp


その中で収支を考えると2000万円で十分セミリタイア可能だと思ったと述べたので、その内訳や、私自身の具体的な計画について書いていこうかなと。

なお、一応言っておきたいのですが、これは私のケースであって万人に適用できるものではないので、そこだけはご理解ください。


支出について(35万円が最低ライン)

まず毎月の支出についてのお話です。セミリタイアでもリタイアでも、自分の毎月の支出を正確に分析し、それより多くの額を収入として得るか、一生その額を垂れ流せる資産があれば、生活は成り立ちます。そういう意味で、支出をきちんと考えるのはとても大切です。そして、このとき重要なのは生活費の最低額ではなく「絶対にこれよりオーバーすることはない」という最高額を予想値にしておくこと

そして、そのことを元に考えた私の支出はこんな感じ

 

毎月出ていく支出の内訳

生活費(食費、家賃など諸々) 10万円
iDeco、小規模企業共済など   15万円
保険・税金などなんか取られる物5万円
大型の買い物などの積立 5万円

合計35万円


こんな感じです。結構謎の項目がありますよね。簡単に説明していきます。

 

生活費(10万円)

これはそのままです、私は大分質素な生活をしているので、諸々合わせて10万円くらい。実際にはちょっと足がでるかもしれませんが、それは多めに見積もった下の部分で相殺しています。

 

iDeco、小規模企業共済(15万円)

iDecoは知っている方も多いかもしれませんが、とりあえずここでは二つまとめて個人事業主の積立金だと思ってください。節税目的の貯金みたいなものです。ほぼ貯金と変わらないので、支出という言い方に違和感のある人もいるでしょうが、自分の収入から差し引かれる物という意味では同じなので、私は支出兼資産と捉えています。

 

税金やら大型の買い物の積立(合計10万円)

ここが結構大事です。生活費を考えるとき、みなさん自分の税金を気にしていますか? あるいは、車を買ったり、携帯を買ったり、パソコンを買ったり、ネトフリ、アマプラ、保険、結婚式のご祝儀等々、お金が必要になるときっていっぱいありますよね。そういうものも月平均で考えると立派な支出になります。

これらはどちらかと言えば、必須とも言えなかったり忘れがちだったり、突発的だったりする支出であり、普段の生活費とは別で考えたほうがいいので、予備費のような扱いで入れています。ちなみに私は数年に一度パソコンを買う以外で10万円以上の支出をすることはまずないので、この予備費は大量に積みあがってることになります。これが生活費の足が出る分と相殺できる理由ですね。車とか家とか買ったら完全に赤字です。


自分の場合毎月の支出は35万円?

こう考えると私の場合は、毎月35万円以上は口座に振り込まれないと、少なくともその口座は赤字になる可能性があります。iDecoや小規模企業共済は、普通の支出とは違うので、これを除外して考えても、普通の人って大体20万円くらいは毎月お金が必要なんですよね。

あれ……大卒社会人一年目の月収って大体20万円前後……

これじゃ、みんな貯金できないのも当然ですね

 

普通の人は15~20万円必要?

ここまでくるとセミリタとかリタイアって結構お金がかかると思いませんか? 実際毎月10万円の生活費で足りると思っていた人も、国民年金とか健康保険とかネットの料金とか、「あっ……忘れてた」って思う項目があったりするんじゃないでしょうか? そういう意識の外の支出のために予備費は重要です。

これを考えると、個人的にはかなり切り詰めても15万円が支出の最低ラインじゃないかなと思っています。

ほんとは、収入の話まで書こうと思ったんですが、結構長くなっちゃったので今日はこんな感じで。


一応次回の話をチラっとしておきますと、毎月15万~20万の支出を、2000万円の資産で賄うのは無理です。投資の運用益を入れて、バイトを入れて……というのも残念ながら現実的じゃないと思います。

なので、今度はそんな話をできたらなと思います。それではよかったらまた見てください。

 

2000万貯まって半セミリタイア状態になった途端燃え尽き症候群になった話

 

ブログの書き方すら忘れた

おはようございます、もうどんな挨拶してたかも忘れたくらい更新してなかったです。

タイトルの通りなのですが、先日なにげなく自分の資産状況を確認してみたら、色々含めて2000万円を超えていました。今回詳しくは書きませんが、自分の生活水準と今後も入ってくるであろう収入、投資の運用益による利回りなどを考えると、よほどのことがない限りはお金がなくてどうこう……という事態にはならない計算になります。

そういう意味で、経済的にはある程度自由になる、セミリタイアを達成したわけですが、それを自覚すると同時にある問題が発生しました。

それは、マジでやることがなくなった……というもの……。


目標を達成したらなんもする気が起きなくなった

このブログのタイトルを見てもらえるとわかるのですが、私は20代で資産2000万。正確には、30歳を迎える年の年末までに資産2000万円。というのを目標にしていました。

これはまだ貯金が数百万円だった頃から漠然と持っていた目標なのですが、その当時は「実際には無理だろうな……」と考えていた数字でもあります。

ところがなんやかんやで、一年以上前倒しでそれを達成していたんですよね……。そして、達成できたんだから夢のセミリタイア生活だね! となるかと思いきや、なんというか……大きな目標を案外あっさり達成してしまった反動で、完全な燃え尽き症候群になってしまいました。

もともと非人間的なスケジュールで働いていて、それでも仕事好きだから比較的楽しくやっていたんですが、さすがにこれからもそのスケジュールをこなすのは無理。ということでその分仕事の時間を減らす→時間が空く。

普通の人ならやりたいことがいっぱいあると思います。ゲームしたりとか、キャンプ行ったりとか? なんだかよくわからないですけど、今まで土日でしかできなかったことを、もっと時間を使ってやればいい。

ところが、私にそもそも土日や休日という概念はなかった……。五年くらい、誇張でなく、ほぼ休みなし。仕事しかしてない。なので趣味という概念が消えていて、結局なにをしていいのかわからない。


とりあえずマンガを読んでいます。

以前はセミリタしてもやることないんなら仕事すればいいじゃん? と思っていたんですが、私は自分の仕事について「その内容」+「お金を稼ぐこと」という二つの要素を楽しんでいました。でも今は、そのお金を稼ぐことに対してモチベーションを持てなくなってきたんですよね……別にお金……困ってないしなあ……と。

というわけで、とりあえずなにかしよう……と、考えて、見たかったエヴァ鬼滅の刃の映画を見てきました。あとは、マンガをレンタルできるお店の会員カードを作って、昔途中まで読んでいたマンガを借りたりしています。

マンガは昔好きだったし読みたい作品もいくつかあるのでしばらく暇つぶしにはなりそうなんですが、所詮は暇つぶし。仕事のような積極的な活動とはちょっと違うんですよねえ。

そんな感じでセミリタイアラインに入って、人生の小目標を達成してしまった結果、めちゃくちゃ暇になって困ってる……という話でした。

また更新するかどうかはわからないですが、もし更新したら見てくれると嬉しいです。

ちなみにさっき見たら、私の購読していたセミリタイア系のブログ主さんも軒並み更新止まってました。ブログは続けられる人が全然いないっていうのは本当だったんだなあと実感しています。あの人たちは今どんな気持ちで生活してるんだろうとちょっと気になったりならなかったり……。

貧乏人から小金持ちになったときに変えるべきマインドの話

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貧乏性が小金持ちになったら

このブログではちょこちょこと書いていますが、私は会社を辞めて今の仕事を始めたころ、月収8万円だった時期などもあり、結構貧乏でした。ただ、元から貧乏性だったのが幸いし、その収入でも無駄な出費……あるいは、必要だけど削れる出費を抑えてなんとか生きてこれたのですが、ある程度お金に余裕が出てくると、この貧乏性というのが、今度は厄介な敵になってくる場合があります。

というわけで、今日は貧乏性の人間が、生活にちょっと余裕が出てくる程度の小金持ちになったときに切り替えるべきマインドの話をしようと思います。

 


貧乏性の思考。とにかく安いものを!!

さて、自分もそうだったように貧乏性の人の思考というのは、基本的にとにかく安いものを選ぶ! という感じです。スーパーで半額の総菜を買い、生活必需品もできるだけ100均で揃え……

現代は「安かろう悪かろう」の常識もかなり変わっており、様々な企業努力のおかげで「安くてもいいもの」はたくさんあります。ですから、基本的にこの思考自体はなんら咎められることではありません。

ただ、こういったお金の使い方が染みついていると、いざ小金持ちになったときにトータルで損する場合があるのも事実です。

 

10円安い卵を買いに10キロ先のスーパーへ?

ところで、ネットでこんな話を見たことのある方もいるんではないでしょうか。

 

「自分の妻が10円安い卵を買うために10キロ先のスーパーへ買い物に行く。ガソリン代や時間を考えたらどう考えても近くのスーパーで買ったほうがいいのに理解してくれない」

 

この例はかなり極端なものですが、貧乏性の人の性質をよく表しています。
つまり、貧乏性な人は自分にとっての損得を「お金の価値」という狭い視野でしか考えられず、時間や労力といった、トータルコストでモノを見れないのです。

もちろん先ほども言ったように10円の卵のために10キロ移動というのは、かなり極端な例です。しかし、こんな例だったらどうでしょうか?


毎日15分の節約のために20万円の洗濯機を買うべきか?

「Aさんは洗濯物を干すのに毎日15分の時間を使っています。ところが最新式の20万円のドラム式洗濯機なら、洗いから乾燥まで全自動でやってくれます。Aさんは20万円払ってこれを買うべきでしょうか?」

 

この例で、迷わず洗濯機を買うべき! と言える人は、意外といません。しかし、ある程度お金を持っている人が「買ってよかった家電」を列挙する際には、必ずと言っていいほどこのドラム式洗濯機が候補に挙がります。

1日15分節約できるということは、月換算だと450分の節約になります。時間にすると7時間以上。おおよそ1日の労働時間を捻出できることになると考えましょう。

休日なしで考えても月収が100万円くらいある人なら、日給は3万円ちょっとになりますので、洗濯機のおかげでひと月当たり3万円得することになりますね。そうなると20万円の費用を回収するには7か月弱。たったの半年で回収できます。

 

これは概算ですが、こうして論理的に考えてみると、庶民レベルのお金持ち・小金持ちであってもドラム式洗濯機を買うことにはかなり大きなメリットがあることがわかります。月収が半分の50万円でも1年で回収。洗濯機の耐用年数が5年くらいあるのなら、十分すぎるほどに元が取れます。

しかし、貧乏性の思考のまま労働単価が上がって小金持ちになってしまうと、このように明らかに得な状況があっても、目先のお金が減るのを恐れて、最善の行動を取れなくなってしまいます。

 

お金と時間を同一視して考えること

このように、ある程度余裕のある収入を得た際には、お金の価値を「お金の価値」としてだけ考えるのではなく、それがもたらしてくれる、余剰時間やストレスの低減など、他の様々なコストと同一視して考えることが必要になってきます。

お金を払って時間を買うというのは実際のビジネスでも通じるところがあり、経営者層なら、うんうんと頷けるところですが、特に固定給のサラリーマンは意外とこのコスト意識が低い場合が多く、プライベートでも仕事でも色んなところで損をしています。

 

ですからもしもあなたが貧乏人から小金持ちになった際には、まずは自分の時間を節約することは金銭的にも得をしている。という意識を持って、お金をどこに使うのか、あるいは使わないのかを考えてみることが大切になってくるのです。

外国語を勉強するときの「電子辞書・紙辞書」論争に関するちょっと変わった切り口

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勉強には紙辞書か? 電子辞書かって話

現在40代50代くらいの方だとイメージがつかないかもしれませんが、現代においては外国語の授業で紙辞書が使われる機会というのはあまりなく、高校生であっても小さいパソコンのような電子辞書を使うのが普通です。

これは外国語学部でも同じなのですが、このことに関して、外国語を学ぶには「電子辞書がいいか、紙辞書がいいか」という論争がたびたび起こっています。

今日はそんな電子辞書・紙辞書論争に関する一般論と、外国語学部卒の自分が経験したちょっと面白い事実を紹介します。

 


電子辞書? 紙辞書? 先生たちはみんな紙辞書派

実はこの論争において、世代が上の先生たちはほぼ間違いなく「紙辞書」を勧めています。その理由は「紙辞書の場合、なにかの単語を調べる際に、目に入った別の単語も無意識に目に留まるから」というもの。

確かに、電子辞書でその単語のみをピンポイントで引くと、それ以外の単語が目に付くことは絶対にありません。紙辞書ならばその語を調べる過程で色々と情報が目に入ることになるので、そういった意味では一定の効果がありそうな気もします。

 

しかし私は昔から思っていたのですが、この主張って、紙辞書を肯定するには、ちょっと弱いですよね? 確かに目に付く単語量は多いかもしれないけど、それを覚えられるかは別問題だし、電子辞書のほうが短い時間でたくさん単語を調べられるんだから、意識的に覚えられる量は大して変わらないかもしれない。

そもそも彼らは自分たちが紙辞書で勉強して、その言語を教えるまでの成果を収めた人たちですから、紙辞書のほうを肯定したくなるのは当たり前だし、どっちがいいかなんてわからんよなあ……と思っていました。

 

学部の成績優秀者はみんな「紙辞書」だった!?

さて、話は少し逸れますが、そんなこんなで私が学部3年生になったときのこと、ある奨学金の募集が私のもとに届きました。それは大学が毎年募集している、全学年対象の返還不要留学奨学金(100万円程度)で、自分の専攻からは毎年2~3人程が選ばれるというもの。

全学年が対象とは言っても、実質は3、4年生向け。特に就活まで時間がある3年生が取るのが普通だったのですが、私の世代は2年間のうちに自分も含め、計4人がこれを手にしていました。

そして驚くべきことに、私も含めこのうちの3人がメインで紙辞書を使用していたのです。ちなみに私の専攻の同期は50人程。その中で紙辞書を使っていたのは、私が知る限りこの3人だけです。

つまり、50分の3人しかメインで紙辞書を使っていないのに、この3人が全員トップクラスの成績を取っていたということ。

こうなってくると、「勉強には紙辞書がいい!」というのもあながち間違いではない気がしてきます。では、この理由は一体何なのでしょうか?

私の持論ではあるのですが、これには、不便な紙辞書を使っていることによる「勉強量の増加」が関わっているのではないかなと思っています。


紙辞書のほうがいいのは、不便で時間がかかるから?

電子辞書の便利なところは、わからない単語を辞書で引く時間を大幅に削減できるというものです。逆に言うと、紙辞書を使う場合、同じ単語を調べるにしても非常に時間がかかるということ。

そうなると、紙辞書を使う人たちは必然的に勉強時間が増え、長時間その言語に触れることが習慣化してきます。
先生たちが言うように、紙辞書を使うことによって目に入る言葉が増え、覚える量が増加するというのが正しいかはわかりませんが、同じ課題をこなすなら、さらっと終わらせるより、時間をかけてじっくりこなすほうが、定着率がいいのは間違いないでしょう。

特に語学のように暗記が重要な科目の場合は、この定着率や、いかに長時間の勉強を習慣化するかが成績に大きく関わってきます。
そのため電子辞書を使ってさらっと課題をこなす人よりも、紙辞書でじっくり時間をかけて同じ課題をこなす人のほうが、長期で見た時の勉強量に差が付き、成績が良くなるのかなあと思うのです。


まとめ

ここまでのことをまとめると
「紙辞書のほうが電子辞書よりたくさん単語を覚えられるかはわからないが、紙辞書のほうが効率が悪い分長時間の勉強が習慣化するので、課題に対する定着率やトータルの勉強時間で成績に差が出る」
ということでした。

 

ちなみに私は、このことを見越してあえて電子辞書ではなく紙辞書を選んでいた……のではなく、単にお金がなかったので、親が大学時代に使っていた古い紙辞書をそのまま使っていただけです。

まあ結局、新しい辞書を買うことになったときも紙辞書のほうを買ったんですけどね。
ちなみに私の専攻だったスペイン語でお勧めの辞書は、白水社の『現代スペイン語辞典』です。

小学館の『西和中辞典』もおすすめですが、大きすぎて持ち運びは大変。

辞書って実はものによって結構個性があって、使えないものは本当に使えないので、なにか買うときは詳しい人に聞くのをおすすめします。

 

 

 

中卒・高卒成功者に希望を持っていいんですか? って話

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高卒・中卒でもすごい人はいる!

ネットの海を彷徨っていると定期的に出てくる話題の中に「大卒は使えない、中卒、高卒のほうがすごい」というものがあります。まあこれは一種のネタみたいなもので、本気で言っている人はあまりいないでしょう。

 

多くの場合いわゆるFランク大学を除けば、大卒資格を持つ人の能力は、高卒、中卒の人より高く、仕事への貢献度も平均的に高いはずです。

しかし、こういう話の延長でちょこちょこ出てくるのが「高卒・中卒でもすごい人はいる!」というもの。一般で言う「すごい人」の学歴は、概して大卒以上が多いのは間違いないと思いますが、高卒・中卒ですごい成功を収めている方がいるのは事実ですので、この主張は確かに間違ってはいません。

 

ただ、あくまで私の主観なんですが、この事実を見て高卒・中卒の学歴の人が「じゃあ俺もがんばれば何者かになれるんだ!!」と思い込むのは、結構危険なんじゃない……? というのが今回のお話。

 

高卒(地元で一番の高校)です。

以前どこかで書きましたが、私はビジネス系youtuberの動画を観るのが好きで、仕事をしながらよく色んなものを流しています。その際、高卒社長や中卒社長というのもちょくちょく出てくるんですが、そういう人の自己紹介って大抵、中卒・高卒(地元で一番の高校卒・中退・有名大学中退)なんですよね。

 

普通の中学高校だったら、そもそもそんなこと話さないんだから、そうなるのは当たり前じゃない? と思った方。正しいです、これは完全に私の主観です。

ただ、一応言っておくと、今私が言った人たちは「中卒・高卒・高校名」の肩書でブランディングしているわけじゃなく、普通に自己紹介・他己紹介の流れで

 

「高校は○○っていう結構上のところでー、なんやかんやあって実は高卒(笑)」
……って話をしているだけの人。

つまり、私が好んで上位高校だった人の動画を観ていたわけではないということです。

 

それでも自分の経歴を話す人の7割8割は、高校が偏差値70前後のところに合格している気がする……。ちなみに偏差値70は全体の2.2%。65まで落としても6%台なので、自分の主観という要素を差し引いても多すぎる気がするんですよね。


トップの公立高校までなら門戸は広い……?

実は私もこのランクの高校を出ているんですが、ぶっちゃけ高校受験の全国偏差値70レベルだと、能力がなくてもめちゃくちゃ努力するか、努力しなくても超高性能の地頭で突破できちゃったりします。(ちなみに私は前者でした)

特に公立高校の場合は、基本的に県の共通テストで合否を判断されるので、基礎問題を全教科満点近く出せる能力があれば勉強なしで入れます。

 

ただ高校入試は範囲が狭いので、突出した努力や能力でなんとかなっても、難易度が跳ね上がる大学入試はなかなか難しい場合があります。その結果、どんな学校でも一定数の落後者は出てしまいますし、色んな試験に合格しても、変化した環境に適応できず、そのコミュニティを辞めてしまう人もいます。

 

こういった人も肩書の上では等しく中卒・高卒で扱われます。

 

中卒・高卒成功者は、普通のドロップアウト勢とは違うのかも……?

しかしなんだかんだ言っても彼らは持ち前の能力・努力で、一度最難関の試験を突破しているわけですから、当然ポテンシャルはありますし、きっと他の人より自分はすごいというプライドもあることでしょう。

こういう人たちが、その悔しさをバネに猛烈に努力した結果、中卒・高卒成功者が生まれるんじゃないかなあと思うのです。

 

繰り返しますがこれは全部私の主観ですので、別にこの意見が絶対に正しいとは思っていません。ただ、「中卒・高卒の成功者」を合格した試験の難易度でクラス分けした場合、実は本当の意味での低学歴層というのは、驚くほど少ないんじゃないかなあと思うのです。

中卒高卒の成功者! という題名だけを見て、「俺もこうなれるんだ!」と思っていたら、実はその人は途中でドロップアウトしただけの超上位層だったのかもしれませんよ。

というお話でした。

英語通訳になりたい人が、外国語学部に行くのは微妙じゃない? って話

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通訳・翻訳者になりたいから外国語学部?

「私は将来英語通訳・翻訳家になりたいので、大学は英語学科のある外国語学部に入ろうと思います!」
というのは、高校生ならよくある話だと思います。

ただ、外国語学部卒の私が見聞きしたり、実際に感じたことから考えると、この選択ってちょっと微妙なんじゃないかなあ? と思うわけです。

というわけで今日は、あんまり外国語に詳しくない人が勘違いしがちな、通訳者さんのお話。(ちなみに私は英語専攻ではなかったですし、別に通訳について詳しいわけでもないので話半分で聞いてください)

 

 


通訳には大きく分けて2種類ある

実は「通訳」という仕事は一言でまとめられがちなのですが、逐次通訳同時通訳という2つの種類に分かれます。

これは今回の話の本筋ではないので、さらっと説明しますが、逐次通訳というのはAさんが一通り喋り終わった後、Bさんが通訳する。という伝言ゲームのような形の通訳。

同時通訳はAさんが喋っているのに合わせて、Bさんがそのまま言葉を変えて話す通訳。ほぼ同時に話すのでこちらはタイムラグがほとんどない状態になります。

当然同時通訳のほうが難易度が高く、また通訳者の方曰く、物凄く疲れるので、会議の同時通訳などだと、複数人体制で、何分ずつ交代。と決めてやったりするんだとか。

個人的に逐次通訳は勉強をがんばれば比較的誰でもなれる気がするのですが、同時通訳はある程度才能が関わってくるアスリートのように思っています。


実は語学力と同じくらい専門性が大事

そして、ここからが英語通訳・翻訳家になりたい人が外国語学部を選ぶべきではないと考えている理由の話。

 

実は通訳を仕事にしている人って、どんな内容でも自在に通訳できるわけではありません。

例えば、あなたが工場に行って、研修生に仕事内容を通訳することになったとして


「このノギスで大きさを測って公差範囲内だったら、焼成に回して、あとから表面を研磨するんだよ」


と言われたとします。ここでいちいち「のぎすってなんだ……?」「公差範囲って……?」「ショーセー??」となっていては通訳の仕事なんて務まりませんよね。

一方でこういった場合、英語力があまりなくても、仕事内容を理解している人なら

 

「ノギス! これのことね! これで大きさ計るの! こうやって! で、大きさが大丈夫だったら、次焼くの! 焼いた後表面きれいにするの!!」

と、片言で説明しても内容自体は伝わります。

ここからわかる通り、通訳というのはそもそも母語で知らないことは話せません。さらに、中学高校までで文法事項を一通り学ぶ英語を仕事にする場合、日英通訳者のライバルは日本人全員です。

こうなってくると、「なんの専門性もない英語がちょっとできるだけの通訳」には大した価値はありません。ですから、他の人が知らない英語以外の高度な専門知識をもって、他と差別化を図る必要があるのです。


国語学部では専門性は身につかない

私は同じ外国語学部卒でも、英語系の学科出身ではありません。しかし、英語系の学科にいた他の人の様子を見ていると、やはり授業は英語の文法や会話、そして、英語圏の文化や経済に関する一般的な話。というのが主なようです。

確かにここで(ものすごく)勉強すれば通訳者になるためのスタートラインに立つだけの語学力は身に着けられると思います。しかし、その末に誕生するのは「英語ができて、英語圏文化にも多少の心得があるだけの人」です。

 

これは決して英語系学科をバカにしているわけではありません。
英語系学科は「英語を研究したり、英語圏文化を研究したりする人」を育成するところなので、その趣旨から考えればこの結果はなにも間違っていないからです。

ただ、この場合実務として通訳をするのであれば、なにかしらの専門分野を見つけ、1から勉強しなおす必要があり、通訳者・翻訳者のような仕事に就くにはかえって遠回りな気がするのです。


じゃあ通訳者・翻訳者になるには何をしたらいいの?

ここまで読んでくれた方ならわかることと思いますが、通訳者・翻訳者になって生計を立てることを本気で考えているのであれば、ある程度高度な英語以外の専門性を身につけなければなりません。そのためにはおそらく、外国語学部ではなく理系の工学系学部などに行くのが早道なのかなと思います。

そこで機械などに対する専門知識を身に着け、英語は自分で勉強する。確かに英語力という面では外国語学部出身者には劣るかもしれませんが、工学部出身者が英語の勉強を続けることはできても、外国語学部出身者が工学の勉強を自力ですることは容易ではありません。

また、日本の工場は世界中にありますし、現地の人の教育時には仕事に精通した英語話者が必須です。またマニュアルの翻訳だって必要になり、世界で販売するのならそれ用の説明書も英語で書く必要があります。このことから考えても、高度な機械の知識と英語の知識を併せ持った通訳者・翻訳者にはまだまだ需要があると言えるでしょう。


言語はあくまで話すための道具

これは外国語学部生なら一回は言われたことがあるかと思いますが、言語はそれ自体が重要なのではなく、それを用いて何を話すか、という目的のための道具でしかありません。

ですから英語に限らず他言語を仕事にしたいと思うのであれば、語学力以上に、それを使って何を話すのか、というのをよく心に留めておいてほしいと思います。

世間のブラック企業、ホワイト企業の判断基準が的外れでは?って話

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ブラック企業とはなんぞや

世間ではワタミが、再度ブラック企業として告発されて処分されたとかなんとかで話題になっていました。残業時間を日常的に改ざんしてたとかなんとかで、もうブラックっていうか、犯罪でしょうから大分振り切ってますよね。

ただ、そこまでいかない世間一般でいうブラック企業に関して、ちょっと最近思うところが出てきました。それは、みんなの言うブラック企業と自分の思うブラック企業の基準、なんか違わない? って話です。

 

 

 

世間で言うブラック企業

基本的に世間一般で言うブラック企業のイメージというのは「長時間かつ低賃金の労働」を課す企業。といった感じです。私もこの考え方自体は間違いとはいえないと思います。ただそれは結果としてそういうことになっているだけで、本質的にブラック企業ホワイト企業を判断するところは、そこじゃないよなあと思うのです。


従業員が何時間働こうが企業としては関係ない

そもそもの話、企業と言うのは利益を求める存在です。ですから、極論従業員がどれだけ働こうが利益を上げてくれないなら、給料なんて一銭も払わなくていいはずです。逆に言うと従業員は、どれだけサボっていようと企業に対して利益をもたらすのであれば、その額に応じて青天井に給料をもらう権利があります。

つまり、企業がどれだけ給料を払うかは本来時間ではなく成果で決まるべきという話。

ところがそれだと一部の超有能な人は、業務の自動化プログラムを勝手に走らせて、寝ながらお金を稼げるし、逆に無能な人はどれだけ働いても利益を上げられないので給料はもらえない。

そもそも数字で成果が見える営業職とかならまだしも、事務職やその他多くのサービス業は数字による評価が難しいので、仕方なくみんなが平等に持っている時間と言う概念で、対価を決めているのです。


時給って概念が浸透しすぎでは……?

企業としては、利益を上げられない人間が何時間働こうが邪魔なだけ、というのが正直なところなのですが、日本ではこの仕方なく導入されている「時給」という制度が必要以上に一般化されすぎています。

どんなに無能でも有能でも、同じ時間働けば同じ額が手に入ります。額が変わるにしても昇給(時給30円アップ)とか、ギャグでしょそれって思っちゃいますよね。

こうしてどんな人間でも同じ時間働けば同じだけお金がもらえるという、間違った概念が染みついた結果「長く働いて低賃金」だとブラック企業! というなんとも間抜けな考えが浸透してしまったのではないでしょうか。


ブラック企業の本質は「利益の還元率」と「利益構造」?

では上記の「働く時間は給料に関係ない」という概念を踏まえたうえで、ブラック企業とはどんな企業を指すのか考えてみましょう。ポイントは利益の還元率と、その会社の利益構造です。

例えば、従業員Aさんが
「俺はこの会社に対して毎月1000万円の利益を出している。なのに給料が10万円はおかしい! ブラック企業だ!」
というのは理解できますよね。従業員に対する「利益の還元率」が低い。働きに対して対価が見合わない。という意味のブラック企業です。

 

また、従業員Bさんが
「この会社が売れと命令してくる商材は利益率が低すぎて、いくら売っても儲からない。だからどれだけ売っても給料が低いまま! ブラック企業だ!」
というのも理解できます。これは、会社の利益を出す構造がきちんと整っていないため、従業員がどれだけ仕事で数字を上げても給料につながらないという意味のブラックになります。


ブラック企業判定は、時間じゃなくて成果を根拠にしましょう

さて、今私は2つの例を挙げましたが、このAさんとBさんがともに「労働時間」に言及していないことに気がついたでしょうか?

彼らは成果のみを理由にブラック企業批判をしているのであって、自分の「労働時間」に対しては一切問題にしていません。

本来ブラック企業と言うのは、こういった自分の成果に対する報酬の低さから判断されるべきものなのですが、労働時間=成果とおかしな解釈をしている人たちにより「長時間・低賃金」=「ブラック企業という解釈がなされているのです。

 

確かに時間をかければその分数字は上がりやすくなりますから、「長時間・低賃金」が成果に見合っていないことの評価軸になりやすいことは理解できます。しかし時間と言うのは成果を出すための過程にすぎません。そのため、「自分たちは何時間働いているのに、○○円しかもらえないのはブラック!」という批判は「自分は〇時間も勉強したのにテストで10点しか取れなかった。テストが悪い!」と言っているのと同じです。

 

このことを頭に入れて、今度からブラック企業と言う言葉を見たり聞いたりしたときは「企業の利益還元率が悪いのか」「企業の利益構造が悪いのか」あるいは「時間ばかりかけて成果を出さない従業員が悪いのか」この3つのうちどれに当たるのかを考え、客観的な判断を下せるとよいのではと思います。